コーチング論

⑦電話で道案内(コーチというお仕事)

僕達のお仕事は、電話で道案内。
電話でってのが、ミソ。
それと、カラオケ。

 

::::::::::::
コーチって、誰にとっても必要ない仕事だったりする。
だって目の前の人は、放っておいても成長するわけだし、
どのような問題でも、人間には乗り越えていく力がある。

 

そしてその証拠は、クライアントが目の前にいること自体だったりする。
つまり、コーチはサポートするはずなんだけど、
相手はサポートがなくても生きていけちゃったりする。
(詳しくは前の記事に書きました。もしよろしければ、ご覧ください。)

 

この原則に逆らって、「この人は自分がいないと生きていけない」とか
「あなたは僕のコーチングを受けないと失敗しますよ」とか
そんなことを無意識に信じていると、大怪我する。

(これはメサイアコンプレックスとか共依存とか行って、コーチ自身の病理的な現象ね。
もしも大嘘と知っていて、そんなことを言っているなら、詐欺と言って、ほとんど犯罪ね笑。)

 

そんなわけで、僕達はなんというか・・・

 

意味があるんだか、ないんだかわからない仕事をしている。

 

コーチとして成長するほど、
コーチとしての自分が必要とされる時間が激減するわけ。
じゃあ、人間である限り、常に前進し続けていて、成長し続けていて、

 

どのような問題や過去があろうが、それを超えたところで生命のダンスを踊っていて、
無意識であろうが、意識的であろうが何かを目覚めていて
必ず知性や愛、経験や能力を兼ね備えているクライアントさんに対して、

 

僕たちが何をしているのかというと・・・・・
ひとつは、「拍手役」。(別に「泣き女」役でもいいけど)

 

もうひとつは、「電話で道案内」(この電話ってのが、ミソ)

 

■「拍手役」

要するに、1人カラオケよりも、
人と行くカラオケのほうが楽しいってこと。

 

クライアントは、自分の生き方を通して、その人の命を表現してるわけだ。
生きている限り、望み、求め、愛し、成長し、変化し、問題のその先へと進み続けている。

 

そしてあらゆる人が、その力を持っている。

 

で、僕達は生命だから、生きている実感が欲しいし、
人間は前進する存在だから、前進した実感が欲しい。

 

そこに誰か、拍手を送る観客とかファンがいると、やっぱり楽しい。

 

その時に、耳を傾ける人がいること、
その人の人生に驚嘆の念を示す人がいることで、
その人は、(同じ人生を歩いていても)人生がよりジューシーに感じられたり、
自分の凄さに気づいたり、もう少し調子にのってパフォームしたくなる。

 

自分の歌を聴いてくれる人がいたほうが、やっぱり気持ちいいし、
その人が感心してくれれば、もっと気持ちい。
だからとにかく僕達は、「へぇ~~」って驚く能力が、大切だったりする。
(口先だったら、ばれるよ。カラオケと違って、クライアントも本気だから、なめちゃいけない)

 

そして目の前の人が人間で、生きてるってことが、
驚嘆するネタが充分にあるという証拠。

 

■電話で道案内
(↑繰り返すけど、この「電話で」ってのが、ミソ。種明かしは最後にね。)

 

僕達の仕事は、電話をかけてくれた、どこかに行こうとしているお客さんが、
お望みどおりに歩くお手伝い。

 

一見簡単な仕事なんだけど、実は僕達は、電話で道案内をしている。

 

これが、コーチとしてのトレーニングが存在する理由。

 

ここでやることは二つ。
その人が歩いていることに気づき、その人らしく歩き、歩く行為そのものが楽しくなるお手伝いと、
お客さんがより望ましいと思う道を一緒に探すしごと。

 

■その人が歩いていることに気づくこと、
その人らしく歩き、歩く行為そのものが楽しくなるお手伝い

 

人は、人である限り常に成長し続けている。
そして、どのような問題があろうと、行き続ける力と意志を持っている。

 

つまり、本人が肯定しようが、否定しようが、無理といおうが、信じようが、
常に何かに向かって、歩き続けている。

 

そして、その力がある。
だからクライアントは完璧な存在だし、僕達は進歩を大切にする。

 

だけど・・・この前進・成長・進歩って言うものは、
僕達にとって本質なんだけど、それが当たり前すぎて、
自分が前進したり進歩したりしていることに気づかないことがある。

 

そうすると、前に向かって進んでいるのに、後ろばっかみて、つまづいたりする。
前に進むために何かが足りないと思って、いらない荷物を背負ったりする。

(ちょうど普段、僕たちが呼吸していることに気づかないようにね。
いきなり運動したり高山に行ったりすると、過呼吸になるよね。
何よりも深呼吸の気持ちよさを思い出すのは、とっても素敵!)

 

だから僕達は、お客さんから電話をもらったら、
そもそもその人の歩みについて、探求してみる。

 

「あれ?もしかしてカニ歩きしてませんか?」
「お客さん体力あるんだから、荷物は軽くて大丈夫ですよ」とか
「猪突猛進と、急がば回るのと、どんな進み方が得意ですかねぇ」
「今までどんな乗り物を使ってきましたか?」

 

とか、問いかけたり、時にはアドバイスをしたり。。。。

 

そうやって、その人がより自由に発想し、
その人らしい美しさが引き出され、
その人の強みが発揮され、
その人が、その人らしく歩く姿を見つけ出すお手伝いをする。

 

何よりも、自分が歩いているんだということ、
随分遠くまで歩いてきたんだということ、
これからも歩いていけるんだということ、

 

その人の歩き方は美しいということ。
あなたの旅はすばらしいということ、
それを少し、思い出してもらう。

 

そして、その人の大ファンとして、
「を~すごい、もう山頂に着きましたか」とか
「え?砂漠を横断したんですか?よく死ななかったですね」とか
「え、500円落ちてたんですか?いいな~」とか言いながら、拍手する。

 

お客さんは、いつだって歩いてる。
歩いてなんかいませんとかいうお客さんもいるけど、

 

実は歩いてる。

 

そして歩いていることに気づいたら、楽しくなる。
お客さんを背負って歩くのでも、
自分の好みの歩き方を教え込むのでもなく、
お客さんにとって一番幸せな歩き方を、一緒に模索する。

 

 

■お客さんがより望ましいと思う道を一緒に探す作業

お客さんはいつでも前に歩いているわけだけど、
時々、「あれ?もう少し別の道を歩きたいかも・・・」
なんて思ったりする。

 

都会がかっこよかったけど、空の見える田舎に行きたくなったり、
突然、みたことも行ったこともないアメリカに行きたくなったり、
今歩いている道がなんだかイヤになってきたり、

 

あるいは、ただ漠然とした、もっといい道がありそうな気がしたりする

 

そんな時僕達は、
「アメリカに行くためには、海を越えなきゃですが、どうしますか?
ああ、海路で行きますか、船賃はあるんですか?」 とか、

 

「別の道・・・どんな道でしょうね。お客さんの歩き方が一番あった道って、どこでしょうね
今までみてきた景色で、一番感動したのって、どこでしたか?一緒に歩く人は?」

 

なんて問いかけたりコメントしたりしながら、
その人の一番望ましい道や、その道を歩くコツを、一緒に模索する。
(いつだって、一緒に考える方が楽しい。それに、いいアイディアも浮かぶ)

 

そしてお客さんがその道に近づくたびに、
新しい道を発見するたびに、拍手する。

 

どんな道を歩きたいかは、お客さん次第。
誰と道を歩きたいかも、お客さん次第。
どんなスピードで歩きたいかも、お客さん次第。

 

僕たちが飛行機を予約してあげるのでもなく、
僕たちが歩かせたい道を歩くのでもなく、

ただ一緒に、どんな道を歩きたいかを、話し合う。

 

 

■僕達はお客さんと、電話で話している
で・・・・僕達は、ある意味では道案内をしているんだけど、
ちょっと車のナビゲーションとはちがうし、
自分のアパートに来てもらうときの道案内とも違う。

 

・・・・だって、電話で話しているから。

 

お客さんのみている景色が、見えないから。
僕達は、物理的な意味で道案内しているわけじゃないし、
ましてやお客さんと同じ道を歩いているわけじゃない。

 

車の助手席に座って道案内するなら、(僕は方向音痴やけど笑)、
運転手がみている景色と自分のみている景色は、ほとんど一緒だから、
話が通じやすいんだけど・・・・

 

僕たちは、心とか、人生とか、人間関係とか夢とか、
形のないもの、お客さんの中にしかない道を扱っている。

 

お客さんにしか見えない光景を、言葉や非言語コミュニケーションを使って、
何とか、一緒に共有しようとしている。

 

僕たちだって一人ひとり、いろんな道を歩いてきたし、
随分いろんな景色をみてきたけど、それはお客さんのみている景色ではないし、
お客さんが歩いている道とも、実はかなりちがう。

 

僕達はいろんな地図(理論)を勉強し、いろんな旅行小説(想像)をみてきたけど、
それはお客さんが実際にみている景色や、
お客さんが足の裏に感じている地面の感覚ではない。

 

そして、お客さんの話から、自分がみてきたどこかの道が思い浮かんでも、
或いは先輩から聞いた旅の思い出話を思い出しても、
あなたが思い浮かべた道と、お客さんが歩いている道が一緒かどうかを確認する術はない。

 

だって人生には、番地なんて存在しないし、GPSだって使えないから。
(右手にたばこ屋があって、その向かいに道を挟んでイタリア料理屋があって、
ちょっと先に行った左手に郵便局の看板が見えて小学生が走っている交差点は、
日本だけでどの位あるんだろうか?)

 

だから僕達は、お客さんの話を一所懸命に聞いて、
どんなところを歩いているのかを想像し、お客さんが何をみていて、
どこに興味を持っているのかを拾い出そうとするし、
勝手にコースを決めたりしない。

 

もしかしたら、スキーがしたいなら北に行くといいかもしれないとか、
砂漠に行く時は水を持ったほうがいいとか、自転車は盗んじゃいけないとか、
その程度の概論は説明できるかもしれないけど、

 

相手の人生を共有できるわけではない。
ましてや、あなたは道を間違っているとか、
そこに落とし穴があるとか、引き返せとか、お前の荷物は不適当だとか、
そんなことを行ったら、相手が混乱するし、クレームになるし、
その時僕達が責任を取ってお客さんの代わりには歩くことはできない。

 

電話越しに、相手の歩いている道をありありと共有するために、
電話越しに、僕たちが応援していることを伝えるために、
電話越しに、その人の素晴らしさを発見するために、
電話越しに、あなたは1人じゃないと伝えるために、
電話越しに、どこに行けばいいのかを一緒に考えるために、

 

僕達は努力し、訓練し、試行錯誤し、実践と理論の間を行ったり来たりする。

:::::::::::::::::::::::

人の本質は、歩き続けること。
どんな人だって、生きている限り、歩き続けている。

 

人間である限り、前に進もうとしていて、どこかに行こうとする望みがあるし、
そして自分の足で歩く力があるし、自分の道を見つける知恵があるし、
誰かと一緒に歩く愛がある。

 

そして目の前にクライアントさんがいるというとは、
その人が今この瞬間も歩き続けていて、その力を証明している。
(まさか死体にコーチングしている人は・・・いないよね。)

 

僕達は人間として、その「歩き続ける」という生命の本質を賞賛する。
僕達は人間として、その人のその力や望みを、信頼する。

 

そしてあなたは、歩き続けている。
眠っている間も開き続けている。

 

何が起ろうと、どんなにつらいことがあろうと、
あなたはなぜか、歩き続けている。

 

振り返れば、足跡が見える。
そして眼をつぶれば、その先の景色が見える。

あなたの荷物が重いなら、
それを支えているあなたの足腰は強い。

 

自分が後ろを向いているように感じられるなら、
前を向いて歩いた記憶があるから。

 

あなたが孤独なら、それはあなたが、愛を知っているから。

 

何度も同じ道を歩いているなら、
その近くにあなたの大切なものがあるから。

 

歩みが遅くてじれったいなら、
それを越えて進み続ける知恵があるから。

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